26歳にもなって彼女いない歴=年齢という、子孫繁栄という分野においてお先真っ暗な人生を歩んでいる。大学同期はともかく、高校の友人の半分は1回以上は彼女いたことがある人間の方が多いのではないだろうか。こう見てると、余程のこと(例えば、高校時代遊びすぎて工業大学行くとか)ない限りは結婚する人間が大半を占めそうである。結婚する人々が特段何かに優れている、というわけではない。単純に女子と触れ合う試行回数を重ねて気のいい相手とマッチングしているだけなのだろうか?
不眠症で寝られない中、布団の中で一つの結論を出した。それは、他人に対して妥協が出来るかどうか、ということである。他人の意見を尊重し時には自分の意見を曲げられることが必要なのだと感じた。この能力は男友達の間ではそこまで重要視されていない。そもそも思考回路が似ているという部分もあるが、ルールに縛られている人間は少ない気がする。束縛系彼氏がそこまで多くない理由かもしれない。
こう考えると、工業大学くんの多くには彼女がいなかったこともうなずける。彼らは我が強く、無理やり自分の意見を通そうとする人間は多かった。また、謎に独自の世界観を持っていることが多く、それも女子うけが悪いこともしばしばあったのだろう。誰が公式がプリントされているチー牛くんと付き合うねん。最も彼女ほしいと思ってない人も多かったと思うが。
ただ、自分の場合は工大くんだったが女の子大好きマンだったので、どうにかこうにか彼女が欲しかったのだけど(とはいえマチアプとかは自身がなかったから一切やらなかった)、まあ結果は冒頭に書いたとおりである。これも結局は行動しなかったことに起因しているように思える。それに加えて、自分が好きな人間は化け物だから付き合いたくない理論も備わり、異常独身男性が生まれていた。今でもこの考えは変わりがないから多分このまんま人生を終える気しかしない。ただ、この孤独な人生の中で後悔することがあるとすれば、家族でもない第三者に心から愛されるとはどういう感覚なのかを知りたかったな、と。